定期的に断捨離することがあるのですが、これは、気分で「削除、捨てたい」と思った時。 先週は全く読んでない本を一気に捨てて、今週は、昔勤めていた時の写真を削除。 なんだか最近、自分のステージが変化した感覚があるのです。だから、古い考えを捨てたくなって、今回、断捨離をすることに。 本に関しては、なんでここまで不要な、つまり読まない本を溜めていたかというと、足りない自分の知識や思慮深さを本を買い漁ることで充足させようとしていたから。足りないものを外から持ってこようとしてたけれど、結局、自分自身の知識や思考力に自信がないからしていた事なんだと気づいて。 凄い自分なんていない、ただあるのは、あまり深く考えれない自分がいるだけ。でも好奇心旺盛な自分がいるだけ。 それだけでいいんだと思ったら、溜め込んでいた本は不要だなと気づいた。だから、思いっきり捨てました。 データ、つまりは古い写真や動画、SNSの投稿に関して。 学会に参加した時に撮影した研究成果やスクショなどは、icloudから一掃。無料で利用できる5Gの約半分が消えてなくなって、追加購入しなくて済んだ。これは当然だけど、効果的だなと思った。 Instagramに関しては、2014年からやっていたようだけれど、古いものから順に、家族や友達に関わるもの以外は一掃してゴミ箱へ。そして、ゴミ箱からもデータを削除。 はてなブログやBloggerは昔使っていたブログのプラットフォームだけれど、全く使用しないため、これも一掃。 過去のデータを見ると、見栄、虚栄、自信のない言葉、私ってすごいでしょ、的な言葉や投稿の数々。なんともまあ、自分にベクトルが向いていて、自信のなさを覗かせる。 そういう自分があったから、変わりたいと思って行動してきたから、その時の自分を責める訳ではなく、 「色々悩んでた自分がいたんだな。頑張ったね。ありがとう。でも、もうそこはいらないから、先に行くね。」 という感覚で、削除して行った。 削除した後は、消してしまって寂しいというより、スッキリ。次に行けるって感覚。 心が晴れやかでポカポカしている感じです、今。にんまり。:)
最近、自分の感情について見ることがあって、気づきました。 私、嬉しいだとか、楽しいとか、幸せだとか、こういったポジティブな感情をしっかり噛み締めて生きていなかったと。 とりわけ対人関係に関して。 ある人にとっては、驚くような感情、精神状況だと思います。 でもそうだったのです。 マイナスなこと、不安、恐怖、心配、焦り、の感情を好き好んで選択して、フォーカスして、その感情のみ噛み締めていた状況が約20年続いていた訳です。 もう、愕然としました。 人と話したりしているとき、確かに笑ったり、楽しく時間を過ごしていたりしていたんです。でも、これまでの人生、楽しいことがなかったと常日頃から感じていて、あれ〜?と自分でも疑問だったのです。 でも、気づきました。楽しい、嬉しい、幸せの感情を噛み締めていなかったのです。 そうすると、人と関わっている時にどう対応されることが好きなのか、自分自身が分からない。もはや、対人恐怖症な訳です。 人の評価が気になる。話すだけでプレッシャー。笑顔を常に持っておかないといけない。でも限界がきて、鬱っぽくなったりと。 もう負のループ。笑 でも、ようやく分かりました。あまりにも、思考が負の感情にフォーカスしていただけなのだと。 気づけば、分かれば簡単です。 「あ〜また、私は負の感情を感じたいんだな〜。好きだもんね。でもそれは癖だから、これからは不要だよ。」 って自分を慰めるだけ。伝えるだけ。そして、嬉しい、自分笑っているな〜と感じたら、 「こう言うのが私は好きなんだね〜嬉しいだね〜」 って言って、そのプラスの感情をしっかり噛み締める。それだけ。 そうすると、胸のざわざわが本当に減って、楽になった。また、重みが取れていいかんじです。個人的に。
オランダのでも最近、雪が積もりました。 最近痛感するのは、「流れに身を任せること」の大切さ。 自分でどうこうしたところで、無理矢理に物事を動かそうとすると、その時全く動かなかったり、結局後で歪みが出たりと碌なことがない。 確かに自分としては、努力でどうにか動かそうと躍起になっているけれど、自分にベクトルを向けている場合、エゴの塊になっている。そして、うまくいかないと、「自分はここまでやったのに、何で周りは動かないんだ」などと周囲を否定することになる。 物事に対して、やるべきことをやったら、結果を待つだけ。 を実践してみたら、それだけで物事の良いタイミングが来て、案外スルスルスル〜と、その時に瞬く間に解決したり進んだりするものだ。 普段、色々と自分の感情を回顧して考えているけれど、全ては日々を心地よく、気持ちよく過ごすため。ストレスが少ない方がいいじゃん。という感じで。
2023年の年末に2022年分の収入申告をしてないとオランダ税務署から通知が届いて、大慌て。 今、居住許可証の取得待ちの状況で、汚点を避けたい。そもそも、日本人の私としては、締切、義務を確実に果たしたい性格。 それにそもそも義務は果たしてたはず!会社も申告をしてたはずだ!ということで、ハラハラしながら以前勤めていた担当の方に連絡したのですが、レターをもらった当時12月27日は年末年始の休暇中で全く繋がらない! 絶望と焦燥感を募らせながら、前職の会社が委託していたオランダの会計事務所に直接電話して連絡したけれど、担当者は休暇中。もうどうしようか、、、、、その日はずっとソワソワしていました。 少し前の私は、こういう状況になったら、ネガティブな気持ちで覆い尽くして、日々悲観的に過ごしていました。具体的には寝て過ごしたり、泣いたり、焦ってメールを再度送りつけたり(迷惑)と本当にヒステリック。 でも今回は、もうそんな自分に疲れてしまったのと、感情のコントロールができてない自分に嫌気が差してしまったので、 “今はできることがない。自分はできることは全部やった。(関係者に連絡したり)” と考え、もうどうにかなるさと気分を切り替える事にしました。 というより練習です。 年明け彼らが始業するまで、プラスのパワー、ポジティブなパワーを貯めようと、アパートの共同部分の廊下を綺麗にしたり(徳を貯める)、お家をディーブクリーニングしたり、近所の猫ちゃんに会いに会いに行ったり、ヨガしたりと楽しく過ごしていました。 すると、年明け案外スルッとうまくいきました。 結果的に前職の会社を辞めたため、”個人所得申告”はしないといけないらしく、何で今さら〜満載を感じながら、2022年度の申告を会計事務所を通して行うことに。幸運だったのは、オランダの担当の方がスルッと即日対応してくださったこと。しかも、料金的にも緊急料金も取られず、正規金額で。実際、費用は高いのですが、私の場合、駐在員で働いていたので、免税の特例もあり少々複雑。餅は餅屋に。自分でやったら時間がかかり、間違いでおかしくなるだけです。それを払えるだけお給料をもらえていたのと、貯金していたので、お金に助けられたな、縁に助けられたなとしみじみ思いました。 お陰さまだなと思いながら、 タイミングはくる。流れに乗って、人事を尽くして天命を待つ。 だなとも思った次第。 異国の地でバタバタしながら生きていますが、何とかなるものです。本当に。
オランダの田舎町に住んでいるのですが、小さな町でも住んでいる区域によって特色がまるっきり違います。 伝統的な古い建物が並ぶエリアはオランダ人(白人)の地域、新興住宅(1960年代以降に建てられた建物)が並ぶエリアはオランダ人(白人)含め、トルコ系、シリア系、モロッコ系、スリナム系のオランダ人(もしくは国籍はそのまま)が住んでいて、国際色が強くなります。 その中でも東アジア人は少数派、極々稀、中国系の人をちょろっと見かけるくらいです。インドネシアをルーツにもつ方は旧宗主国のオランダに移住する方もいるので当たり前といれば当たり前にいますが、日本人と韓国人は全くと言っていいほど見てない。この街には、私しかいないのでは?と思うくらいです。余談ですが、お隣の町では日本人男性の方を1名見つけました。街ですれ違った時に、流暢なオランダ語で話していました。 そんな環境で暮らすと、HSP気質の私には結構な挑戦・チャレンジな訳です。美味しいお肉や魚はスーパーより、お肉屋さんやお魚屋さん。それにパートナーは必ず行きつけのパン屋でパンを購入する訳で、必ず小さなお店に行かないといけないのです。 店員さんはオランダ語で話す訳で、オランダ語超初心者の私にはかなりのハードル。そしてHSP気質の私には、相手の顔の表情で「あ。この人、典型的アジア人と接したことがない人だ。オランダ人ばかりの環境で育った人だ。」と分かってしまう訳です。こういう感覚になるのは、オランダ人(白人)が多く住むエリアのみ。 そういう時って、私の根暗パワーが無駄に働いて大変。もうネガティブな思考が働いてしまって。あまりいい体験をそういう人から受けたことがないのです。日本でも、外国人に対して柔軟な考えができない人がいますが、そんな感覚と同じです。 あ〜と思いながら、根暗な私は色々と考えるのですが。 でも頑張って下手でもオランダ語で話すと、どうにかなる。 もしどうにもならない場合は、もうそこのお店には行かない。と決めてやっています。 日本の田舎町に暮らす外国人も本当に同じような経験をしてるんだろうな〜と本当に思っています。 でも、オープンマインドな人は、本当にいる。そういう人と関係を作ればいいんだな〜と思いながら生きています。 縁がある人は縁があるし、ない人はない。どういう世界で生きたいか。に尽きる訳で。 本当に、日々勉強。
よくCHIEさんの言葉から元気をもらっていまして、くよくよする自分をどうにかうまくなだめようと。 CHIEオフィシャルブログ「スピリチュアル観察日記」 12月18日付のブログの内容が、私の今の感情に悟りを与えてくれてます。 起こることには必ず意味があります。ネガティブな出来事にも必ず、ポジティブな自分へのメッセージがあります。 ーー略ーー 「気づく力」を持てば事なきを得てそのカルマ(因果)は流れます。 ーー略ーー そしてもう一つ、大切な気づきを得る方法があります。それは、あなたがこの一年誰かに対してよく口にしてきた言葉。人に言い続けてきた言葉って、実は自分自身に対する魂からのメッセージ 人に伝え続けてきた言葉は魂が今一番あなたに伝えたい言葉なのです。 CHIEオフィシャルブログ「スピリチュアル観察日記」https://ameblo.jp/chie-sp-we/ つい最近もイライラ、モヤモヤしたことがあったのですが、ネガティブな出来事として処理しようとしてました。 ・話し方が悪かった・相手目線に立って話さなかった・なんで質問しただけなのに受け手側の対応が悪いのだろう などと考えたのですが、 ・自分をまた責めていた・マニュアル外の対応にどうしてもなってしまうから基本相手は知らないもの・自分も相手も仕方がない、相性が悪かっただけ と言って、もう自分を責めるのはやめよう、致し方がない、相性が悪かっただけと解釈方法を変えることに。 せっかちな性格も祟って、待てないこともこともことも禍していると思うと。 今回の出来事で再度気づかせてくれたのだと。待てばうまくいく。なるようになると。 それと、よく口にしていた言葉はおそらく、 「ありがとう」「どうにかなるよ」「Let’s see.」 だなと。今回の出来事、全てにあてまると思った次第。 ありがとう:自責しすぎない、自分は十分にやっている どうにかなる&Let’s see:果報は寝て待て。せっかちになるな。 もう、自分を虐めるのはやめよう。 ただ、思考の癖は簡単に治らないから、ゆっくり、気づくことから始めようと思います。
スピリチュアルな話になりますが、西洋占星術の先生に私の星周りを見ていただいて、自分の特質を見てもらいました。 受ける前は、結構自分の性格で悩んでいたのですが、カウンセリング後はスッキリと棘が取れた感覚になりました。 西洋占星術のカウンセリングを受ける際に必要な情報は、 ・生年月日・生まれた時間・生まれた場所 です。ゴリゴリに個人情報なのですが、例えば、生まれた時間が微妙に異なるだけで未来予測などする際に1年時間が異なったりするらしいです。生まれた時間は母子手帳に記載されている情報を教えてほしいとのことでした。おおよそ±4分のずれになるので、ほぼ正確に見れるとのこと。 初めて会う先生だったのですが、星の位置を見てすごい的中率で私の性格を当てていきます。もう驚きです。感覚的に85%くらい当たっていました。 会話を完璧に再現することはできないのですが、以下キーワードが私の特徴・傾向・特質・気質のようです: ・博愛・平和 (仲介役をこなす)・神経質・強迫観念(締切に遅れたくないなど)・個性的・独創性・専門性・フリーランス/グループワークよりも一人で行えるもの、関わる人が定期的に変わる仕事がいい・薬、科学、化学反応、医療、秘密、社会貢献に関係がある・いろんな情報をそつなくまとめれる・伝統的なものだとルチーンで退屈だし、苦しくなる。新しいものの方がいい。・健康に興味があって、病気になることが怖い。健康法を試すが、強迫観念から苦しくなって止めてしまう。・直感力があるが、その直感を信じず、実際どうなのか?分析してしまう・人が考えている/感じているものを直感的に分かってしまう・金銭面は必要な分だけ入ってくる・心配/不安を感じているときは運が悪い。リラックスしている時に直感がうまく働き、運がいい 個人的に思ったのは、今まで感じていた強迫観念は全く私の運に影響しない点。 今まで運を逃していたのか〜と、苦しんだ意味って薄かった〜と思ってしまったことですね。 苦しいな〜と思っていたことが実は強みだったことも個人的な発見でした。例えば、人の機微な表情(口元が歪んだり、目が一瞬怖くなったり、怒りの雰囲気(オーラ)など)を感じてしまって、その場を繕ったり、黙ってしまったり(何も言わないことで解決すると思っていた)していました。すっごく疲れるんです。でも、それが分かることで人の気持ちにも寄り添えるし、場をうまく穏便に終わらせれることも強みだと気づけました。でも、疲れるんですよね、もしピリピリしていたら。 カウンセリングでの言葉を反芻しながら、次への一歩につなげていこうと思えました。 スピリチュアルなことって、現代社会の科学的目線から見たら全く証明しにくいもので野蛮だと思われる場合も多いですが、案外役に立つものです。それに西洋占星術は歴史が長いですし、自分にプラスになる点を取り入れることは何もおかしなことではないと、個人的に思います。
ミーハー的ですが、The Economistの定期購読を開始しました。 2年間デジタル版が半額だったためです。 定期的に世界動向についてアップデートしたいなと思っていたのですが、どの情報がいいのか不明でしたが、やっぱり内容はThe Economistが好み。というか、頭が悪いので、安心そうなものに飛びつくという安直な考えです。 大学時代に学んだ教授が愛読していた雑誌で、そこからThe Economistの存在を知る。 ただ、学生時代にはとても高くて買えず、大人になってもう〜んと考えてしまう値段。(小市民) けど、2年購読半額!の文字を見てしまう。それにバックナンバーも読めるなんて! 飛びつきました。 デジタル版なので、紙媒体は届かないのですが、携帯アプリで読めるので、紙派のアナログ人間は封じ込みました。 Quote of the Dayも素晴らしい、完全にミーハーと化してしまいました。
徳という言葉が好きで、日々の生活でも徳を積んでいくことを思い立ったらしようと心がけていますが、海外のとりわけ仏教思想を持たない人にどう説明すればいいかいつも困ってしまいます。 徳、英訳、で検索すると「Virtue」とヒットする。 よく利用されるWikipediaさんを見ると以下のような文章である。 A virtue (Latin: virtus) is a trait of excellence, including traits that may be moral, social, or intellectual. The cultivation and refinement of virtue is held to be the “good of humanity” and thus is valued as an end purpose of life or a foundational principle of being. In human practical ethics, a virtue is a disposition to choose actions that succeed in showing high moral standards: doing what is right and avoiding what is wrong in a given field of endeavour. When someone takes pleasure in doing what is right, even when it is difficult or initially unpleasant, they can establish virtue as a habit. Such a person is said to be virtuous through having cultivated such a disposition.
このブログの使い方を見直そうと思います。 始めた頃は良いことを書かないと、人が有用だなと思うことを書かないとなどど、肩肘はってガチガチの状況でした。文章にもそれが表れているなと感じました。それって、”自分にとって”という言葉が付いてくるなと思いながら、結局は読んでる方のことを考えてないなと感じてしまったのもあります。 この1ヶ月で、自分の心がまた浄化され、自分の直感を信じていい(自分の心の状況が良い時・リラックスしている時)と知ったので、もっとゆったりと、思ったことを書いてみようと思いました。 色んなトピックが混在しますが、自分の心・直感を信じて。そして、時間をかけることを惜しまず、結果を一朝一夕に求めず。